蝶の夢

人形

「良いよねぇ、小夜は。ステキな婚約者がいてっ」
 胸の前で両手を組み。目はうっとりと細められ、ほぅ、と息を吐きながら言う友人。
「……そうね」
 私は曖昧に微笑み返した。
 私立紫苑学園。良家のお嬢さま、お坊ちゃまばかりが集う都内でも有数のお金持ち校。ここでは、学校の目的は勉学ではない。将来のために子供同士の頃からより良い縁を結び、人物を見抜くこと。それが、ここでのし上がるために絶対に必要だ。そして、それ故に、「大学を出たら○○家へお嫁に」などという話も多い。
「今日も迎えに来てらっしゃる! 愛されてるのね」
「かもね」
 はらはらと散っていく桜。時折、風に吹かれて惜しげもなく花びらを落とし幻想的な光景を作り出す。掃除をするはずの下級生達も、この時期ばかりは遠慮していた。
「いつか紹介してよ?」
「もちろん、いつかは」
「小夜の返事は『いつか』ばかりだわ」
 その通り、私は彼を紹介する気は更々なかった。彼に友人とコンタクトを取らせるなんて論外。
 もう一度、窓の外に視線を移す。南門まで続く石畳の道は桃色に染められ、空の青との対比が美しい。そして、その先には無駄に長い、黒い車。高校に入ってからずっと、繰り返されている光景だ。
「小夜さん、撫子さん。掃除はきちんとしましょうね」
「はぁい」
 白い割烹着を着た女の先生が、柔らかな声音で言う。撫子は軽く肩を竦め、ちろりと舌を出した。周りの生徒は苦笑している。かくいう先生も。皆、いつものことだと納得していた。先生も、ここでは優しく宥める程度。所詮、掃除なんて今だけの、子供時代の一つの娯楽でしかない。
「小夜、やろうか」
「……ええ、そうしましょう」
 けれど、注意されて気付いた。いつの間にか箒を掃く手を止め、外ばかりを見つめていたことを。
 手早く掃除を済ませていると、後ろから肩を叩かれた。作業を止め、体ごとゆっくりと振り向く。同級の男子だった。名前は六条遼。大きな会社の跡取りなのだ、と女子が騒いでいたような気もしなくはない。
「小夜さん、後ろほどけてるよ」
「え?」
 片手を頭の後ろに持っていき、感触を確かめる。今日は二本の白く細い紐で髪を一つに結んでいた。確かに、その蝶結びが緩くなっていた。少し引っ張ればすぐさまほどけてしまうだろう。
「本当。……ありがとう」
「待って、結び直すから」
 私の返事を聞く前に、六条はくるくると紐で私の髪を結い上げる。途中で迷う様子もなく、随分と手際が良い。最後にきつく締め付けられる感じがして、私はその行為が終わったことを知った。
「終わり」
「ありがとう。――慣れてたね」
「どういたしまして」
 六条は何かを思い出すかのように、柔らかく目元を緩めた。
「昔、よくやってたからさ」
「あ、そうなんだ」
 ちょうど良い頃合に、掃除の終わりを告げる放送が校内に響く。左足に絡まった足飾りが、小さな音を立てた。


「また、余計なことを」
 見えなくなる前の彼は、私でも分かるくらいに不機嫌だった。美しい形の眉が吊り上がる。一切の有無を言わせず、私にアイマスクをさせて車の中へと連れ込む。
「誰がやったんです? これ」
 微かな音。滑らかな指先で髪を持ち上げられ、ようやく何を指しているのか分かった。痛いくらいに抱きすくめられる。後ろから聞こえてくる声。後ろから伸びる腕。
「――っ。友人、よ」
「ならば、言っておいて下さい。二度としないようにと」
 しゅるり、紐が解かれた。そして、おそらくその下の白いヘアゴムも。
「貴女も頭が足りませんね。同じ、蝶結びにしておいて貰えば良かったものを」
 ふわり、結ばれていた原型を止めながら。髪が広がる感触。
「私だけの、生きた人形でいればいいのに」

 嫌。嫌な、はずなのに。

 私は目を閉じ、完全な闇の中に身を委ねた。アイマスク越しに感じる、薄っすらとした光からも逃れて。
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